東京府中市での暮らしは、決して不便ではありませんでした。交通の便もよく、仕事を探すにも困らず、日常はある意味で「整いすぎていた」とも言えます。ただ、脳梗塞で左手・脚が不自由になり、追われるように30年勤めた会社を辞めた虚しさ・やり切った感・これからの残りの人生をどうやって生きていくかの不安が少しずつ積み重なっていたのも事実です。
そんな中で考え始めたのが「嫌な思い出の東京捨ててどこかに移住しよう」という選択でした。そして、その決断に大きく関わっていたのが、離婚したので唯一の家族である犬の存在です。この子達にとっても、もっと自由に走り回れる環境を用意できないだろうか。そう思ったとき、頭に浮かんだのが沖縄でした。

今帰仁村を選んだ理由と、移住までのリアル
沖縄といっても、那覇のような都市部ではなく、あえて北部田舎の今帰仁村を選びました。理由はシンプルで「自然の中で暮らしたい」という気持ちが強かったからです。海と山に囲まれ、観光地でありながらも静かな時間が流れる場所は、犬との生活にもぴったりだと感じました。
とはいえ、移住は決してロマンだけではありません。住まいは、なんとか移住支援サイトでペット可の戸建てを東京の家売却した資金で購入できましたが、仕事をどうするか、収入は安定するかといった現実的な問題もあります。
私の場合は、脳梗塞になってしまってから以降、リハビリに専念していたので、外で働くのは、4年ぶりくらいになりますし、障害者になってから初めての仕事なので不安は正直あります。サポートしていただける地元今帰仁村の社会福祉協議会のUさんと仕事探して
やっと見つかったのが企業の障害者枠ではなく、すでにその時点で50才代後半でしたので、障害者就労支援A型事業所というところだけでした。隣町の名護市に事業所があり、同じ北部の宜野座村に農園があり、畑け仕事です、毎月8日だけ休み、最低時給790円で1日の労働時間4時間でしたので、月8万円くらいの低賃金でした。東京では墓石販売会社の役員でしたので90万円の給与と比較すれば、しかも離婚したので一人暮らし、すべての支払いを自分でなんとかしなければなりません。月8万円と障害基礎年金2ヶ月分15万円でなんとか生活していかなければなりません。家賃は無いものの光熱費・電話代・日用品など支払えば、ほとんど無くなってしまい、自分の食料は地元今帰仁村の社協のフードバンクを人生初めて利用することになりました。

犬と暮らす沖縄の日常
実際に今帰仁村での生活が始まると、日常の風景は大きく変わりました。朝は鳥の声で目が覚め、そんな環境の中で、ほとんど人通りのない家のまわりを犬と散歩することが楽しみそのものになりました。
ただし、沖縄ならではの苦労もあります。夏の暑さや湿気、台風での長い時間の停電、虫の多さ、最初は沖縄田舎の人々の価値観の違いに戸惑うことも多くありました。それでも、それらを含めて「この土地の個性」だと受け入れられるようになると、不思議とストレスは減っていきました

移住して気づいた、本当に大切なもの
東京府中での生活を手放してまで移住する価値があったのか、と聞かれたら、迷わず「あります」と答えます。それは単に景色がきれいだからでも、スローライフに憧れたからでもありません。
自分にとって何が大切なのかを、日々実感できるようになったからです。時間の使い方、人との距離感、仕事との向き合い方、(仕事は障害者事業所辞めて、これからはフリーランスとして占い悩み事相談カウンセラーと動画編集メインにライターなどで生活費安定させていくように考えています)、そして、隣にいてくれる犬との時間、そのすべてが、以前よりもずっと「自分のもの」になったと感じています。
もし、少しでも今の暮らしに違和感を感じているなら、一度立ち止まって考えることも身につけました、大きく環境を変えることだけが答えではありませんが、「選択肢を持つこと」は確実に人生を豊かにすると思います。

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