
引用:NP JAPAN
公務員試験
私は、現在 嫌な思い出しかない東京を捨てて、誰も知合がいない沖縄県北部の田舎 今帰仁村に4年前に移住してきました。
今回、仕事について書くテーマですので、約10年前に辞めた仕事・会社について書こうと思います。
私が高校を卒業して、やりたいことも特に無く、漠然とアルバイトしながら親と同居しながら生きていた頃、世間体から就職しなければならないと思い始めた頃です。
取り敢えず、求人広告を見ていて、現代と違い求人は、未だ紙媒体で募集をしていました。私が住んでいた東京府中市から、それほど遠くない多摩市の市役所勤務の募集記事を見て、当時は電話で募集に対して応募したい意思を示してから、指定された会場に筆記試験を受けに行きました。思いもよらず、1次試験に合格した私は2次試験の面接に伺った時に唖然としました。20才代前半のあまり世間を知らない自分がバカだったのか、2次試験にやってくる受験者は、ほとんどが学生服を着た高校生や大学生でした。それで面接試験管からは、侮辱的なことを言われました。
「ここは、あなたのような人がくるところじゃない」と、当時の公務員は知り合いのコネで入るのが常識だということを私は知りませんでした。しかも新卒でない自分がいる場所じゃないと自分でも察知して「もう、結構です」と言って途中退席しました。それ以来、公務員には、嫌な感情しか湧かないです。

引用:フォトライブラリー
墓石販売会社
次に、私の父親が墓石細工職人だったこともあり、ある大手墓石販売会社の社員募集に応募して面接も池袋本社でラフに済ませ、八王子支店に配属も決まり、入社できる運びとなりました。面接では3ヶ月の研修期間内に営業はじめ、自分のやりたいことを、最終的に決めれば良いと言われていましたが配属された先の八王子支店長が強引な人で若いんだから営業やらなければダメだと言ってきてイヤイヤながら営業未経験、コミュニケーション苦手な自分が営業をやる羽目になってしまいました。未経験者ができることは、研修中に先輩営業社員の良いと思える部分を盗むことぐらいしかできませんので、自分なりに努力して研修も終わり、晴れて営業新米社員として独り立ちしました。始めこそおっかなびっくりの連続でしたが、慣れてくるに従い契約が取れて引き渡し時にお客さんから感謝されることに喜びを感じ、気がついた頃、入社3年目には、全営業関東一円150名のトップになりました。そのことが社長の評価に繋がったのか社長の長女と結婚することになってしまったのが、自分の人生の没落の始まりになりました。
八王子支店長になり、取締役部長〜常務取締役〜専務取締役になって入社30年目を迎えようとしていた頃、自分の八王子支店の部下(自分よりも年長者)が横領事件を起こし、そのことを自分のせいにされました。当時は社内で不穏なことが起こり、メインバンクのみずほ銀行の命により、監査が入りました。その監査で自分は社風を正すべき風な発言をしたことがいけなかったのかオーナーいち族から執拗な嫌がらせを受けて横領事件の濡れ衣をきせられたのです。
うつ病になり、2ヶ月休職しました。
そして、オーナいち族から八王子支店からの移動を宣告されて、辞表を出しました。2014年冬のことです。
その冬は東京では珍しく大雪が2回続けて降りました。
退職してから、うつ病の影響なのか、脳梗塞になり、後遺症で身体障害者になってしまいました。オーナーの娘である妻とも離婚をして、単身沖縄に移住してきたわけです。
既に現在62才で高齢者障害者で職も無く年齢制限の無いフリーランスでしか収入を見込めないライター初心者です。

引用:小学館
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